適応障害と向き合って

ストレスフリーな生活を目指すエンジニアの活動日記。

私の幸せを阻むもの。

こんにちわ。ロコです。

 

人の幸せって何でしょうね?そういえば、社会人になってからずっと思い描いていた私の幸せって、家族で楽しく・のんびり田舎で暮らすことでした。

でもなぜかできないんですよね。ローンの事、仕事の事、教育の事、老後の事等々考えてしまって。

 

んで、なんか心にぽっかり穴が開いた状態で仕事をするもんだから、乗り気じゃないし、仕事もハードだから疲れてしまう。それをずっと続けているわけです。

 

さらに心の中では、”頑張る君”が今頑張ってやれば老後にそれが叶うよ!とか、”何言ってんの生きているだけ感謝しなさい”とか色々現実世界の話をしてきて、一方では”一休み君”が無理しちゃダメ。自分の人生は自分のもの。ゆっくり行きたきゃそれでいい。とか言って戦っていて一向に自分の道が決まる気配がない。

 

何この状態・・・。まさにカオス。このまま歳取っちゃうよ・・・。

 

幸せを阻むもの

 

結局何がこの幸せへの道を阻んでいるのでしょうか。ちょっと書き出してみました。

 ・お高いプライド(世間体)

 ・収入が不安

 ・やりがいの問題

 ・めんどくさがり屋の性格

 ・人間関係構築が不安

 ・親が心配

 ・子供が馴染めるのか不安

 ・家のローンが大変

いっぱいありますね。この中で一番邪魔しているものというと、やはりお高いプライドでしょうか。今の状態を捨てて、また一から生活を構築していくわけですから、当然世間一般でいう負け組の生活を送らなければならない可能性はあります。

つまり何を捨てるのか・・・・。プライドを捨てれるのか・・・。

 

いつからプライドは確立されたのか?

振り返ってみると、私のプライドは小学生の頃に確立されました。塾に通って、少し勉強ができたもんだから、周りから”すごいね”って言われて、それを信じて自分がすごい人間だと思ってしまう。それが知らず知らずの間に、自分の根っこになってしまったわけです。そしてそれが間違いだと途中で分かっても、信じたくなくて育ってきてしまったんです。

どうしようもなくないですか?もう40年以上経って、今更このプライドをどう捨てろと・・。でも捨てたい。捨てなきゃ幸せにはなれない気がする。

 

プライドいる?

そこで、捨てるにはどうするか考えてみました。プライドって言い換えると”誇り”ですよね。でもそれって自慢できる対象があっての話ですよね。対象いらなくないですか。誰も他人の事なんて考えていないですよ。みんな出来事が起きている時は登場する人物の事を考えていますが、それが終わるとどうですか?ほとんど家族とか、恋人とか別のこと考えていますよね。つまりプライドなんて必要ないんですよ。今の時代はそんなのアピールしなくても十分生きていけるんですよ。

 

すみません。少しまとまりがない終わり方になってしまいましたが、私としてはやっぱり早く幸せな生活を送りたいと思っています。なので今後それに向かってプライドを捨てる努力を続けていきたいと思っています。ではでは。